水無月歌会[令和五年]

水無月歌会 [令和五年]

2023年6月17日 by 中世古悦子

今年も梅雨入りが早く、蒸し蒸しとうっとおしい日が続きます。

コロナが何とかおさまり、人混み以外ではようやくマスクが外せるようになりましたが、早くも台風が列島を掠め、発達した雨雲が数時間にわたって同じ場所に停滞する、線状降水帯による大雨の被害も、あちらこちらで聞かれるこの頃です。心配は尽きませんが、温帯から熱帯雨林気候へと急速に変動していく空へ、うまく対応していかなければなりません!

5月は、あゆち支社との合同支社会開催のため、お休みをいただきましたが、6月の支社会は、台風3号接近の影響による雨の合間を縫って、全員参加で予定通りに開催することができました。

会友それぞれの生活や行動がおもしろく詠まれていて、意見も多く飛び交い、水本先生のご指導のもと充実した歌会となりました。以下、自由詠一首と添削歌です。

・入院の一泊二日覚悟して母娘むき合ひ鉄火どん食む(後藤まゆみ)
・入院の一泊決まる老い母と母娘むき合ひ鉄火どん食む

・写メールの味笑まふデコラージュ展カップさまざまに紅茶ポットも(青山玲子)
・デコラージュ展写メールにきてほほゑまれカップもあれば紅茶ポットも

・通ふ血にほの赤らみし袋角のこる産毛へ青葉の風す(中世古悦子)
・通ふ血に赤らむ鹿の袋角やはらかに見え青葉の風す

・除湿して五月の風を身に浴びて原語放送ちゃんぐむを聞く(山本浩子)
・窓開き五月の風をすずしみて原語放送『ちゃんぐむ』楽し

・槻の木の透き見る月のあえかなり逝きける人のおもかげ立ちく(中川りゅう)
・槻若葉透き入る月のあえかなり逝きける人のおもかげも顕つ

・そらに誦み口馴れし語(ことば)たふとしと古事記つらつら宣長しるす(金丸満智子)
(添削なし)

・六度目の摂取券届き真夏日の多い日続くもマスクはなせず(中村智恵子)
・六度目のワクチン接種きて暑き日の続くともマスク外せず

・身を投げし若者の霊いづくにぞ華厳の滝に虹の彩澄む(井口慎子)
・身を投げし若者いづこにさ迷へる華厳の滝の虹高からず

・認知症の恩師いざなひバラ園に笑顔つらねて女子会始す(中城さとこ)
・老い深き恩師さそひてバラ園にコロナ忘れて女子会集ふ

・拾ひ来し河原の石ら逝く春の机に置けば遊べる如し(水本協一)

新緑歌会[令和五年]

きらきらと若葉のまぶしい季節となりました。

我が家のまわりの田んぼには一斉に水が引かれ、あっという間に早苗が植えられました。初夏の夕べの風に、そのしなやかな新葉をなびかせています。幾多の雨風をしのぎ3ヶ月あまり、今年もまた、黄金色のふっくらとした穂の実るのを想像するだけでも、自ずと希望の溢れ出てくる大好きな光景です!

4月の支社歌会は、都合にて第4木曜日となりました。前日の雨は嘘のように晴れ上がり、終日一片の雲も見えず、一足早い五月晴れの好日となりました。

以下、それぞれの自由詠一首と水本編集長の添削歌です。

・応為とてオーイと呼ばふ北斎の父娘の画室たのしからむや(青山玲子)
・『応為』 以下は佳 (名前と理解でいない方の為にカッコをつける)

・孫娘はじめて食みし鮪なりピンクの味すと瞳を輝かす(後藤まゆみ)
(今ままで見たことのない独特の表現で佳)

・街路樹の根元に咲ける母子草ビロード状の綿毛におほわれ(中村智恵子)
・     同上              をおほふ

・砂浜へいかに根下さむ浜大根しほ風を背にそと抜きみたり(中世古悦子)

・春耕の機械のおともおだやかに季節のなかの風物と見る(井口慎子)
・春耕の機械のおともきこえくる日長となるも素足まだ冷ゆ

・皇后を拝せし記念の記念の梅子らの写真に伝はる気負ひいぢらし(中城さとこ)
・皇后を拝せし記念の記念の梅子らの写真に若き気負ひ見えつつ

・卜定に選られし斎王十あまり鈴鹿の関越えからくありけむ(中川りゅう)
・卜定に選られし斎王十あまりからくも鈴鹿の関や越えけむ

・つやつやと赤みを帯びてうぶ子の如やはらかき肌指に触れたり(山本浩子)
・つやつやと赤みを帯びてうぶ子めく若葉の肌を指に触れたり

・濃紺のブレザー捨てし押入れのゆるみに透る鳥の声あり(金丸満智子)
・濃紺のブレザーまだ着ぬこの春の窓にすずしき鳥の声あり

・落花みな堰かるる佐保の川淵に濃くなる白さ夜目にも冴えむ(水本協一)

弥生歌会 [令和五年]

どうやら春の陽気となりました。続く寒さにじっと静観を決め込んでいた春の花々が、一斉に咲き始めました。我が庭には20種ほどの椿を植えていて、毎年炉開きの頃には、ピンクの愛らしい抱え咲きの『西王母』、ほんのりピンクがかった猪口咲きの『初嵐』、白に細い紅の筋が入った『秋一声』が咲き、続いて純白の『白玉』、濃い紅の『藪椿』、年が開ければ紅と白の『侘助』、春に向かって、可愛いまん丸の蕾をつける『蜜姫』など、どれもどれも茶室の床に華を添えてくれる椿たちです。そしてようやくこの暖かさに安堵したのか、紅に白の覆輪の『玉の浦』、ピンクに白の覆輪の『三笠の月』、ピンクと白の変わり咲きの『胡蝶侘助』、気品のあるピンクの『有楽』、淡く控え目なピンクの『数寄屋』などなど、ぱあーっと開き、我も我もと得意顔です。そして今年も頑張って咲いてくれたそれぞれに敬意を表して、1日1輪、代わる代わる居間の定位置に生けて、その美しさを絶賛する毎日です!

さて、3月9日はうらうらと穏やかな春の日差しに恵まれ、奈良より水本先生をお迎えして、予定通り近畿支社会を開催いたしました。以下、歌会に寄せられた詠草と添削歌をご紹介いたします。

 

・二三輪古木にひらく白梅に声かけ喜び分かつ母なりし(山本浩子)

・二三輪古木にひらく白梅に声かけし母今年は坐さず

 

・終活と言はれ台所改修すこれが最後か食洗機入れる(中村智恵子)

・台所改修しては終活となさむ春なり食洗機入れる

 

・白銀の遠山脈は見えぬまま感じゆくさへこころ明るむ(井口慎子)

・白銀の遠山脈は見えぬまま心に感じゆくも明るし

 

・気に適ふセシールカットに春秋を経てやコロナの空に嘯く(金丸満智子)

・気に入りしセシールカットに春秋を経てやコロナも果つと嘯く

 

・霜だたみ父の7才の肩おほふ赤きショールに米国へ発つ(中城さとこ)

・霜の朝7才の肩おほひける父のショールに梅子渡米す

 

・鮫の口かたどるミトンに雪だるまやうやくなりて孫ウインクす(後藤まゆみ)

・鮫の口動けるミトンに雪だるまやうやくなりて孫ウインクす

 

・春の夜を鳴くはずのなき草ひばり幽けき声音つと想ひ出づ(中世古悦子)

・春の夜を鳴くはずのなき草ひばり幽けき声音遠き日とあり

 

・古枝にも梅のほころび春近く冷ゆる身内をほのあかくする(中川りゅう)

・古枝にも梅早開き軒下に冷ゆる身の内照らす心地す

 

・春さむく人へ提げ行く奈良漬のかく重しとて新鮮に老ゆ(水本協一)

如月歌会[令和五年]

寒いながらも立春を迎えると、日差しが眩しく春が近いことを実感致します。昨年8月より、義父の介護もあって滞っておりましたホームページの更新を、また今月より再開させていただきます。

それにしても1月下旬の大寒波には驚かされました!メディアも前もってうるさく警告していましたが、鈴鹿とはいえ私の住いは、伊勢湾沿いでわりに穏やかなので、いつものようにさほど気に留めずに居りましたら、生涯あまり覚えのない大雪と冷えが続き、水道管が氷り給湯器が機能せず、不自由な2日間を強いられました。ですが、日本はもとより、世界中のあちこちで、生きる事さえも脅かされる日々をお過ごしの方々を思い、この程度でと、不満を口にする自分を戒めました。

今月9日の近畿支社会は、穏やかな好天に恵まれ、水本先生のご指導のもと、様々に意見が飛び交い密度の濃い歌会となりました。以下、支社会友の自由詠と水本先生の添削を列挙致します。

・一丁のとうふ地酒の熱燗に米朝落語ほどもよきなり(金丸満智子)
・一丁のとうふと地酒の熱燗の米朝落語ほどもよきなり

・雪晴れの畑に並びて笠地蔵と大根立つを遠目に拝す(中世古悦子)
・雪晴れの畑に昨日の雪かむる大根笠の地蔵と拝す

・単線の列車のどけき音に行く石蕗の黄の冴ゆる午後なり(井口慎子)
・単線の列車のどけき音のみに石蕗の黄の冴ゆる午後なり

・年明けに宅神祭の太鼓打つ禰宜背を丸めつつ我が家訪ふ(後藤まゆみ)
・年明けに宅神祭の太鼓打つ禰宜背を丸め我が家を訪ふ

・雪の粒ひとつひとつを美しと学生服の子供のかたる(山本浩子)
・雪の粒ひとつひとつを美しと学生服の袖に子のいふ

・斑雪残る小庭に夕月の松の緑を和らぎつつむ(中川りゅう)
・斑せる野辺の小庭に夕月の松の緑も和らぐと見ゆ

・ゆかしさと熱情の弓音たゆたひのはて天翔るエンディングへと(中城さとこ)
・ヴァイオリン弓音たゆたふ熱情のはてひそかなり曲の終りは

・雪道も遊び場だった幼き日兄のあと追ふ初夢をみる(中村智恵子)
・雪道も遊び場にして幼きは兄のあと追ふ初夢をみつ

・一人とて仲間ゐるとて足技にサッカーボール子らに親しき(青山玲子)
・一人ゐて仲間つながる足技にサッカーボール子らに親しき

・山茶花の切り落されし蕾枝を夜のバケツに花火と咲かす(水本協一)

文月近畿支社会[令和四年]

コロナ感染の第7波が本格化し始める中、5月に続いて水本先生にもご出席いただきました。8月より新青虹の編集長に復帰されたばかりですし、この暑さの中、奈良よりお越しいただくのは申し訳なく、ためらいもありましたが、歌会は滞りなく進み、大切な時間を無駄にしないよう、皆ご指導に耳を傾けました。

支社の方々にあらかじめ提出いただいた自由詠一首をまとめ、お渡ししている詠草集を順に鑑賞していきます。面白い発想のお歌も多々あり。自分の視点の狭さを思い知らされますが、作者本人の思いを考慮の上に、添削いただいた歌は、やはり無駄がなく調べも整っています。

今回出詠下さった方々の、原作歌と添削後の歌をご紹介致します。

・白鷺のからだ半分田植田に埋もれて見ゆる早い梅雨明け (中村智恵子)
・白鷺のすがた半ばは青き田に埋るる朝をはや梅雨明けす

・濡れながら子ら逃げ惑ふ水鉄砲とうもろこしの青青と伸ぶ (青山玲子)
・濡れながら水鉄砲に逃げ惑ふ子らにもろこし丈青くあり

・亡き夫の写真窓辺に置きし友昼餉の卓に潮の香かをる (後藤まゆみ)
・亡き夫の写真窓辺に置く友の昼餉の貝に潮の香りす

・忌明けして母屋の整理に汗の身の散水ホース使はれずあり (山本浩子)
・忌明けして母屋の整理に汗にじみ散水ホース使はれずあり

・しとど濡れ触れなば葉より玉と落つ蓮の蕾はまだ閉ぢたまま (中川りゅう)
・朝の露触るれば葉より玉と落ち蓮の蕾はまだひそかなり

・近づくも後退りすも釈迦牟尼は伏し目ながらに我を逸さず (中世古悦子)
・近づくも後退りすも大ひなる釈迦は伏し目に我を逸さず

・蚕時雨とふ音たて蚕の桑食むを見守りてゐし祖母の目ありき (井口慎子)
(こしぐれ)
・蚕時雨といはれ蚕の桑食むを見守りてゐし祖母の目細し

・西行は出家の旅に木曽殿の勢威末路を和歌にとぶらふ (金丸満智子)
・西行は出家の旅に木曽殿の末路を詠みて身は若かりき

・うぐひすの返り音さゆる初夏の朝より炭酸煎餅くらふ (水本協一)

水無月歌会[令和四年]

6月はからりと晴れる日が多く、なかなか梅雨入りしなかった東海地方ですが、宣言したものの雨はあまり続かず、月をまたいでいきなりの猛暑です。この暑さは一体どこまでエスカレートするのでしょうか。体調管理の難しい夏となりそうです。

さて6月中旬、2年半のコロナ自粛を解いて、地元にお住いの青虹社のお友達のご案内にて、鎌倉へ1泊2日の旅に出ました。

先ずは北鎌倉の駅にお迎えいただき円覚寺へ。総門をくぐり階段を上ると、三門が現れ堂堂たる風格。寺領はそこから山へ山へ。随所にある石段を見上げると、萱葺の狭い門が奥へと口を開いて、これぞ結界という雰囲気を漂わせ、自ずと背を正されます。続いて鎌倉街道をジグザグに東慶寺、明月院、浄智寺、建長寺へ。明月院には山門の手前から境内全て埋め尽くすほどの人、人、人。あじさい寺と呼ばれるにふさわしく、全山のあじさいは淡いブルーに統一され、鎌倉ブルーと言うのだそう。建長寺では方丈庭園から200段の階段を励まし合いながら上り半僧坊へ。駅前のコンビニで調達したおにぎりの美味しかったこと。展望台からは有るか無きかに、雪を頂く富士の三角頭をうっすらと確認でき、目の充電も完了。

午後は亀ヶ谷坂切通しを経て若宮大路へ入り、念願の段葛を真っ直に上って鶴岡八幡宮へ。都合よく梅雨の中休みで、雲は薄いながらもべったりと太陽を遮断して暑さを回避。寺社の境内にも、民家の庭先にも、切通しの狭い山道にも、色々なあじさいが今を季と咲き満ちて、山から街へ、したたる緑の鎌倉を堪能。夜は横浜へ足を延ばし、ランドマークタワーより暮れ行く横浜港と日本丸、街の灯りを眺めながら、美味しいディナーをご馳走になりました。

2日目は江ノ電に乗って江ノ島へ渡り、海抜100メートルのタワーに上り、360度の殆どぼ〜んやり!とした絶景を楽しみ、長谷寺へ。十一面観音菩薩の大きなお姿を間近に見上げると、その圧倒的な存在に身じろぎもできず、パワーをシャワーのように浴びて元気を充電。

そして高徳院の大仏様へ。お目にかかるのは2度目。前回の印象通り実に端正なお顔で、憧れの人に思いを寄せた乙女心がふつふつと・・・。あまりにも有名な与謝野晶子の歌碑は、以前より裏手の木々が繁ったせいか、木立の陰にひっそりと立っていて、知らなければ多分見過ごしてしまうでしょう。晶子の直筆は、情熱を露わに歌を詠み、夫鉄幹を洋行させ、12人の子供を筆一本で育てた、その剛腕ぶりからは考えられないほど、細くなよ
なよとしていて、いつも何か違和感を覚えます。

そして仕上げは鎌倉文学館へ。ここには観光客の姿はほとんどなく、侯爵邸として建てられた洋館には、鎌倉文士たちの直筆の原稿や書簡が並び、心地よい風の吹き抜けるバラの庭園を眺めながら、バルコニーにてコーヒーブレイク。古くより名だたる人々を魅了し、引き寄せてきた鎌倉の奥深さを感じながら、きっと秋には静かに己を回帰させ、冬には寂然とした厳しさの中に迎えてくれるのだろうと、去り難い想いを胸に帰途に着きました。この様な素晴らしい旅をご用意下さった友人に、感謝の想いは尽きません。

[六月号誌上]より

・追想にひたれる午後の日めくりは春の鏡に映りゆれつつ(金丸満智子)

・ふはふはと行方定めぬ老後なり眠れぬ夜は眠らぬままに(井口慎子)

・万葉の仮名に孤悲とぞ宛てけるは時こえ人の恋あはれなり(中川りゅう)

・採血の値きびしく心の臓常ならぬ母と刻む春なり(山本浩子)

・届きにし友の歌読む縁側に過ぎにし日々を懐しみつつ(後藤まゆみ)

・微かなる光を放ち咲きしもの散りゆくものへ春の雨ふる(中世古悦子)

・心臓のくすり服む身へのびむ日をけさ梧桐の幹にまぶしむ(水本協一)

皐月歌会[令和四年]

日中の陽射しは肌を焼き付け、確かに夏の到来を感じさせますが、陽が落ちれば中秋を思
わせるように気温が下がり、爽やかな風が家の中を巡ります。心地良さの中にも、梅雨ま
近のこの時期とは何か違う不思議な感覚もあって、あれ程過ごしにくいと嫌っていた、べ
たーっと纏わりつくような梅雨の肌感覚が、ほんの少し懐かしくもあります。

さて、昨今公用書はさておき、私信さえも手書きからパソコンへと移りつつあるようです
が、変換されるままにとんでもない漢字が使われていることも珍しくありません。パソコ
ンに依存するうちに、読めるけれど書けない漢字が増え、まして送り仮名への意識は希薄
となるでしょう。

月々の詠草の送り仮名のふり方に苦言を呈し、新青虹五月号へと寄せられた水本編集長の
文章には、広辞苑とても曖昧だと書かれています。活用に際して全く変化をしない語幹を
表示しながら、その活用は徹底していないとの事。詠草の清書にあたり、何の疑いもなく
広辞苑の表記に従っていましたが、心せねばなりません。そうは言っても歌の場合、作者
の意図により敢えて不要な文字を、視覚的な強意として付け加える場合もあり、やはり正
解はないようです。

『五月号誌上より』

・海苔加工つぎし夫婦の息合ひて伊勢海苔の角黒々と張る(金丸満智子)

・清水湧く土地のあるらし里山の低きも絶えぬ小流れありき(井口慎子)

・攻めらるる外つ国遠くへだたりて幼の涙拭くすべもなし(中川りゅう)

・長風呂に創を癒して気ままなる湯浴みたのしむ春立つ日にも(山本浩子)

・かじかみし手に息かけて戸を開く東の空に茜雲みゆ(後藤まゆみ)

・家々の灯りに添へて明るめる梅と暮れゆく里のやさしき(中世古悦子)

・蟹紅く煮られ食はるる湯の宿に着くも帰るも雪のうちなり(水本協一)

卯月歌会[令和四年]

依然として消滅しそうにないコロナ感染の中、ロシアのウクライナへの軍事侵攻は、国連
の介入も全く効力を持たず、いよいよ泥沼化しています。一部の人間の私欲によって、何
の罪もなく力を持たない国民を犠牲にしながら、ともすれば世界戦争へと発展しかねない
状況です。日本政府には的確な判断のもとに、しっかりと危機管理をしてほしいものです。

人類の発生当初、世界各地には20種程の原人が生息していたそうです。そしてアフリカ
に生まれた私たちホモサピエンスが、ヨーロッパ、アジア大陸へ進出し、海を渡ってアメ
リカ大陸、そして太平洋上の国々へ種を増やしていったのは、他の原人たちに比べて、よ
り欲望の強い性質を持つ人種だったからとか。その留まるところを知らない欲望によって
文明も文化も発展し、現代の高度社会が築き上げられた訳です。ですが、その欲望を制御
できず、殺戮を繰り返す人が絶えないのも現実なのです。

新青虹四月号巻頭の『氏郷慕情』は、日本の戦国時代を生きた蒲生氏郷に思いを馳せた、
金丸同人の圧巻の15首。織田信長に人質として差し出された氏郷は、14歳の初陣後そ
の才能を見込まれ、信長の次女を娶って近江日野城主となる。信長の死後は豊臣秀吉に仕
え、北伊勢諸城の攻略に尽力し松坂城を築く。綿密な計画のもとに作りあげた城下町は、
今も大切に守り継がれている。その後も次々と戦功を立て、陸奥の会津に91万石という
大領を与えられ黒川城を築く。蒲生流に改築され七層楼の天守を持つこの城は、氏郷の幼
名にちなみ鶴ヶ城とも呼ばれた。明治元年の戊辰戦争で会津藩士5000人が籠城した舞
台である。文武に秀でた氏郷は茶の湯にも深く、利休七哲の筆頭と言われ、利休の死後、秀吉に嘆願して子の小庵を手元で庇護している。また和歌を三条西実枝に学び、能楽にも長けた。しかし度重なる戦に病を得、惜しくも40歳の若さで生涯を閉じる。

・かぎりあれば吹かねど花は散るものを心みじかの春の山風

自己の早逝を嘆いた辞世の歌からは、戦乱の中に己の短い命を費した氏郷のやるせなさが
伝わってきます。戦争によって得られる心の平安など無いのです。

[四月号誌上より]

・利休より継ぎし作法の一服に氏郷いくさの修羅や忘れむ(金丸満智子)

・風のなき夕空広く思はれて初ドライブは海べへ向ふ(井口慎子)

・木枯しのなかを見知らぬ少女来て重荷を負へる吾に寄り添ふ(中川りゅう)

・梅の木の節こゆる風やはらかく肌に触れては春の息吹す(山本浩子)

・姉まねて意気揚々と雪玉を作る幼子大きさ競ひ(後藤まゆみ)

・日に氷る甕を覗きて美しく封じられたるもの見むとせり(中世古悦子)

・冬の夜をさめて又見る夢のそこ雪ふりつくせ春になるまで(水本協一)

 

弥生歌会[令和四年]

青虹社では永年にわたり、毎年春と秋の一泊二日の全国大会と三地区に分けての日帰りの準大会が、各支社の持ち回りで、名所旧跡近くや風光明媚な会場が選ばれ、催されてきました。ですが近年。社友の方々の高齢化によって、遠い会場への参加が難儀という声があがり、やむなく秋の全国大会と春の準大会の二回に縮小となりました。しかしそれも、足掛け三年に及ぶ新型コロナ感染のため、中止を余儀なくされています。

今年の春の準大会も、東地区は中止となりましたが、私たちの中部地区は、名古屋のあゆち支社の野地同人にお骨折りをいただき、『あゆちの会』と銘打って3月26日、名古屋市市政資料館にて開催されました。折良く全国的にコロナの蔓延防止措置は解除となりましたが、やはり感染への不安は拭いきれず、出席者数はいつもを下回りました。ですが久しぶりに、水本編集長はじめ各支社の皆さまのお元気そうなお顔を拝見でき、とても勇気付けられました。

開会の挨拶の中で仰られた、『一方通行の誌上評とは違った、顔を突き合わせての歌会の進展を楽しみましょう!』という野地同人のお言葉通り、それぞれの歌への感じ方は思いの外多様で、土地柄や年齢のちがいも相まって、おもわぬ解釈に驚いたり納得したり、六時間に及ぶ歌会も瞬く過ぎ、とても充実した密度の濃いものとなりました!!懸念なく全国大会の開催される日が来る事を祈るばかりです。

 

[三月号誌上より]

・色ふかき紅葉にのぼる坂道に若き日の脚ひたに恋ひつつ(金丸満智子)

・クリスマス華やぎもなく夜の更けてせめて門灯明るく点す(井口慎子)

・陽の薄き冬の浜辺に時をかけ餌を啄む鳥見て足らふ(中川りゅう)

・うぶすなに参れる人もしづまりて霰の音はさやかに聞ゆ(山本浩子)

(たいせつ)
・大雪の夕陽うけつつ満天星の赤くマリアの鐘響くなり(後藤まゆみ)

・朽ちし船舳先は沖へ物語りめくも動かぬ冬の浜なり(中世古悦子)

・古今集写本の系譜しらべゐる図書館のをか虹としぐるる(水本協一)

如月歌会[令和四年]

ここ四、五年は暖冬で、節分に鬼を払えばもう春めいていたように記憶していますが、今年は全国的にいつまでも寒く、鈴鹿でも何度も雪が散らつきました。先日も目が覚めた時その明るさに、なんて強い春の日差しなんでしょう!と窓を開ければ一面の雪!!思わず感嘆の声を上げました。鈴鹿は一年中で一番寒い二月でも、雪に閉ざされることは稀にしかなく、降ったとしても、大抵は一日でほぼ溶けてしまうことが多いので、雪へのイメージは、厳しさよりも美しさの方が勝ります。しかし今年は勝手が違い、北国で暮らす方々へ思いを馳せました。それでも季節は確実に巡り、ひな祭りを前にようやく春も重い腰を上げたようです。

『新青虹』二月号冒頭の文章『百年は心に近し』に載せられた釈迢空のお歌をご紹介します。水本編集長が、昨年京都の古書市で求められたという、大正十年の『アララギ』四月号に発表されていた『夜ごゑ』より5首

・長き夜のねむりの後もなほ夜なる月おし照れり河原すが原

・川原の樗の隅の繁み繁みに夜ごゑの鳥はい寝あぐむらし

・湍を過ぎて淵によどめる波のおもかそけき音もなくなりにけり

・水底にうつそみの面わ沈透き見ゆ来む世も我のさびしくあらむ

・合歓の葉の深きねぶりは見えねどもうつそみ愛しきその香たち来も

秀歌は、何度も何度も読み返すうち、その情景が目からどんどん心の奥へ分け入って、読む人それぞれの心象とつながり、思いもよらない世界をも見せてくれます。

[二月号誌上より]

・江戸へ発つ船見送りし遊女らの祈り沁みにし砂や秋冷ゆ(金丸満智子)

・枯れし桃伐りし残りは身を支へ暮れゆく庭の道しるべなり(井口慎子)

・新しき鞄に替えて古き物捨つれば老の身も軽くなり(中川りゅう)

・聞き慣れぬ真珠湾とふ言の葉にとまどひ見する生徒らもあり(山本浩子)

・母愛でし真葛色づくひと枝を居間の遺影に近く供ふる(後藤まゆみ)

・共に古る家に偕老願ひつつ小春の縁にささくれを剥く(中世古悦子)

・杜かげの古本市にカブトムシ瀕死にゐるは誰も見向かず(水本協一)