睦月歌会[令和四年]

年が明け世界中で猛威を奮っているコロナオミクロン株の感染は、以前とは異なり年齢層
を下げて、高校や地区の小、中学校にまで拡大しています。ただ感染者への対応がかなり
改善されていることが、せめてもの救いでしょうか。とはいえ、リモートで仕事をされて
いる方々、友達との楽しい学生生活を奪われた子供達は、やりきれない思いをたくさん抱
えていることでしょう。すでに社会人としての役割の大半を免除され、これといった不自
由もなく夫と二人暮らしの私などは、できる限り足かせとならないよう、十分に注意を払
わなければと思う毎日です。

ですがコロナによって歌に向かう時間の増えたことも確かです。私たちの結社青虹は、心
覚論のもとに多くの方の支えによって引き継がれ、消えていく結社の多い中、四年後には
創刊百年を迎えます。単純な日々の生活の中にも常に新しい発見をしながら、その感動を
歌に詠み続けていければと思います。

『新青虹』一月号の冒頭、川口代表の『青虹の未来』と題した文章には、音楽や絵画にお
ける表現にも触れながら、歌詠みの心構えを説かれています。特に心に留めておくべき一
節をご紹介します。

・言葉が美化された出来合いのものではなく、多少荒削りなところがあっても構はないの
です。すでに美化された言葉には、うたのいのちが通ってゐない場合が多く、其を真似
ることは戒めるべきです。言葉を知ったかぶりをして真似るのは、他人のことばを盗ん
で平気でいることになるのです。そのようなことをしていると、未来の新しさは生まれ
てこないのであり、過去の物真似のみを繰り返してゐることにほかならないからです。

[1月号誌上より]

・指の疵さけて鶴折る卓上に陽のうつりゆく寒さありけり(金丸満智子)

・負の思ひのみにて秋も進みけり外つ国ゆ来し木ノ実など食む(井口慎子)

・山の端は縹に染まり山際は茜に燃えて秋の日暮るる(中川りゅう)

・青空の巻雲心に刻みつつ眼科院への道を曲がれり(山本浩子)

・退職ののちに作りし新米のにほひに友の笑顔立つなり(後藤まゆみ)

・実生にて名は知らざれど真っ新に白き椿の一番花つむ(中世古悦子)

・ゆくりなく間近に啼かれ立ちどまる蜩に身の予後をかくせず(水本協一)

 

新年明けましておめでとうございます!

鈴鹿は久し振りに雪の年明けとなり、残念ながら初日の出に手を合わすことはできません
でしたが、いつもと違う幕開けに、新しい展開の予兆ではと微かな期待も添いて、家内穏
やかにおせちを囲みました。皆様はどのように元日をお迎えになられたのでしょうか?

密になることが最大のリスクとなる疫下にあって、幸い短歌は単位がひとり。大勢で集う
ことなく成立する文芸です。歌を詠むというのは、自分を見つめ直し心の奥を確認する作
業でもあります。思いも寄らない本当の自分に出会えるかもしれません。

是非ご一緒に宝探しの旅に出てみませんか!ご一報をお待ちしております!!

[12月号誌上より]

・となりあふ漁師荒れにし海の日の想ひ出に酔ふ寿司と一夜を(金丸満智子)

・愛蔵の歌集をひとに見せむとて一頁づつぬぐふ秋なり(井口慎子)

・私ゐて母安心の中にゐるとしみじみ思ふ秋の午後なり(山本浩子)

・曼珠沙華ひと恋ひそめし若き日をしのに思へば空いや高し(中川りゅう)

・暮れ初むる竹やぶ抜けし細道に猫と見紛ふ石かはつとす(後藤まゆみ)

・縁側にひざ小僧抱くすずしさに鰯雲なるうろこをかぞふ(中世古悦子)

・落蝉のかしこにあれど重ならず離ればなれにいのち果つれば(水本協一)

近畿支社会 [令和三年]

11月後半、細胞のすみずみまで緩むような小春日が続きましたが、12月に入るといきなり気温が下がり、日の暮れるまで冷たい雨と風。体を丸めて布団に潜り込んだ翌朝、出ている顔の上部の冷たさに目が覚めると、気温がぐっと下がったのでしょう、屋根や畑には粉砂糖を振りかけたように霜が降りていました。このところの著しい気温の変化に、体を合わせていくのが大変な冬の入りです。

11月の三重支部会は、久し振りの近畿支社会となり、奥様のお供にて、ご療養中の水本先生にお越いただきました。少しお痩せにはなりましたがとてもお元気で、闘病の顛末は程々に、早速提出の自由詠をもとに歌会が始まりました。
いつものように穏やかな口調で、さらにふさわしい言葉遣いや、違った目線からの展開等一首づつ丁寧に添削して下さいました。10時開始の会は瞬くお昼となり、用意した昼食を済ませた後は、サプライズにと準備した手作りのケーキとコーヒーで、快気のお祝いをしました。『水本先生おかえりなさい』と書いたチョコプレートを飾った、大きなガトーショコラを人数分にカット。先生の柔和な笑みと奥様の弾けるような笑顔に、一同安堵し、また先生にご指導いただけることを喜びました。

午後は時間の許す限り話しましょう!とおっしゃり、新青虹11月号を開いて質疑応答、歌の詠み進め方など核心に触れたお話を、お帰りの時間ぎりぎりまで精力的にご指導いただきました。先生と奥様をお見送りしたあとは、ほっこりとした余韻の中で、皆で良い時を共有できた幸せに浸りました。

[11月号誌上より]

・師は老ひて描かす暑中の葉書絵の糸瓜自在のかたち味はふ(金丸満智子)

・自由なる想ひ遊ばす部屋はあり広き空へと窓開きゐて(井口慎子)

・窓ちかく虫の音すだく千切れ雲浮かべる空に宵の月出づ(山本浩子)

・宣長を祀る社のすぐ脇の店に穏しく自然薯すする(中川りゅう)

・蝉声に飲むコーヒーに夫と吾の歩みし日々を偲ぶ朝なり(後藤まゆみ)

・稔り田を小鷺の群れに追はれつつ刈りゆく老の背の豊かなり(中世古悦子)

・若き日に録りしファドなど病棟の枕に聴けばこの世遠くす(水本協一)

神無月歌会[令和三年]

10月半ばより冬が一気に訪れたかのように寒い日が続きましたが、暖かさが戻り、コロナ感染の落ち着いているうちに遠出して、久しぶりに紅葉狩りにでもと心の動く今日この頃です。コロナ対策のためほぼ2年を、マスクに消毒、検温など面倒に思われることが否応無しに身につき、そのまま冬へ移行すればインフルエンザ予防も万全!強いられた我慢もプラス思考といたしましょう!

さて10月の支部会では、青虹社の川口学代表の掲載歌『宮居の砂』の細やかな描写表現を鑑賞しました。

・明るめる宵の灯に踏む砂のかさ春の宮居にややくぼませぬ

神社に敷かれている砂のわずかなでこぼこを捉えた、『砂のかさ』にはっとさせられます。

・宮砂のみち暗がりを踏みしめて春の憂ひと振り返りけり

参拝を済ませた帰り道、未だ未だ拭きれずに次々と湧き出てくる不安が、『春の憂ひ』に集約されています。

・御手洗の水に涼しく杖の手を濯ぎきよめて持ち直しけり

御手洗で清めた手に『持ち直しけり』と当たり前の表現の中に、いつも頼りになってくれる杖への敬意が伝わってきます。

[10月号誌上より]

・陽も水も澄みて幾世を咲きつげる蓮に驟雨の音立てて過ぐ(金丸満智子)

・手に白き蚕の繭の温かき命こもりし名残のままに(井口慎子)

・紅色に部屋も染まれる八月の大夕焼けに酒たしなまむ(山本浩子)

・簾ごしの透影あはき夏の宵くりやの女の白き腕みゆ(中川りゅう)

・友持参せしぶだうパン手作りの温みしばらく掌にあり(後藤まゆみ)

・紫を寄せ合ふ桔梗の花影へ蝶舞ひよりてやさしき日なり(中世古悦子)

・うつし身の思はぬなみだ心臓の手術より醒めわれ生きゐたり(水本協一)

長月歌会[令和三年]

9月当初より新型コロナの爆発的感染のため、三重県にも出されていた緊急事態宣言は、月末をもってようやく解除となりました。とは言っても、湿原を歩くように、またすぐに足を取られるのではないか、という疑念を抱かれる方も多いのではないでしょうか?!当分の間は気を緩めず暮らすことが肝要です!

私はこのひと月、予定の仕事や行事がすべてキャンセルとなり、その開放感の中、秋の草花の手入れをしたり、蒔いた冬野菜の愛らしい芽に癒されたり、思わぬ休養となりました。あまり緩み過ぎたせいか、従来の日常を取り戻すのにひと苦労です。

歌を詠むのはまず写実からと言いますが、そこには詠む人の心が仄めかされていなければ魅力ある歌とは言えないでしょう。反対に気持ちをあからさまに表現しては、返って心に響かないものです。

 

心臓の手術を無事に終えられ、リハビリ中の水本編集長のお歌『手術台の歌』より

・暮れてゆく春のみなとはしらねども我が心臓の手術台あり

・ほととぎす心に啼かせ心臓を載する手術の台高からず

・七十の孤心ゆきつく処とも見えず手術の台の簡素は

どれも難解なお歌ですが、手術台にのせられ執刀を待つ患者の複雑な心模様が、独特な描写によって表現され、引き込まれていきます。

 

[9月号誌上より]

・人逝きし庭に戻らぬ日々慕ふあぢさゐ日毎いろ深めつつ(金丸満智子)

・一本づつ葉に触れながら梅雨はれし庭を巡りぬ風のみ親し(井口慎子)

・ハチ公の物語見て癒さるるコーヒー苦き初夏の夜あり(山本浩子)

・いくとせか置き忘れゐし風鈴の南部をしのぶ音色にたちぬ(中川りゅう)

・空隠すごと木々のびし森おくにトトロの歌を聞く心地せり(後藤まゆみ)

・笹百合に出逢ふを信じ乙女子の恋心もて藪へ分け入る(中世古悦子)

長月歌会[令和三年]

古今和歌集、『秋立つ日よめる』の詞書に始まる、藤原敏行朝臣のお歌

・秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

きっと記憶されている方も多いのではないでしょうか。暦の上での立秋は8月初旬ですが、毎年9月にはいってもまだまだ残暑は厳しく、寝苦しい日が続くのが常です。ところが昼間は30度を超える猛暑日でも、ここ2、3日、夜になるとひんやりとした秋風が流れてきて、違和感を覚えながらも、まさに歌の通りだなと思い出されました。清々しく朝を迎えられるのは嬉しい限りですが、コロナ感染が衰えを見せない中、自然がまたつむじを曲げたのではないかと不安の増すこの頃です!

さて今月の歌会は、現在ご療養中の水本編集長の寄稿された『小林秀雄の短歌観』の紹介
文に、大いに盛り上がりました!抜粋しますと、
・近頃の歌壇で、伝統的な格調の正しい歌をよしとするものと、自由に形式を破って歌はうとする人とが互いに相争ってゐる様に見受けます。・・・僕の好むところは伝統派です。・・・短歌は、今日の文学的表現のうち最も伝統的な表現形式であるといふ以外に短歌の特殊性があらうとも思えませぬ。・・・・
文語、旧仮名遣いを軸に、音調を大切にしながら今を詠み継ないでいこうとする、短歌結社青虹の短歌を全面肯定する文章に、よくぞ言ってくれました!!と。

[8月号誌上より]

・ふるさとを離れ服縫ふむすめ等の春を紅さすことも覚えき(金丸満智子)

・花のかげ隣の花に映しつつチューリップとりどり夕陽にゆらぐ(井口慎子)

・梅雨なかの奈良仏像にまみえてはしばし安堵のひとときのあり(山本浩子)

・幼どち花を並べて笑みかはす筵の上の時うつろひぬ(中川りゅう)

・遠住める嫁送りきしふかひれの肉まんの味こよなく旨し(後藤まゆみ)

・露地をゆく夫の項に刻まるる老いをうべなひ古希の茶なさむ(中世古悦子)

文月歌会[令和三年]

暑い暑い日が続きます。そして収まりかけているかに見えたコロナ感染は、ワクチン接種が進んでいるにも関わらず、危機管理の緩みをついてか、かつての感染者数を更新する日々です。そんな中、幾多の障害を振り払い東京オリンピックが幕を開けました。連日繰り広げられるアスリート達の真剣勝負に引き込まれ、結果に関わらず彼らは多くの感動を与えてくれています。またこの非常時において、オリンピックの進行に尽力されている大会関係者の
方々のご苦労は計り知れません。すべての競技を無事に終え、滞りなく閉会式が迎えられますよう祈るばかりです。

7月の支部会は、外出も憚られる暑さの中、皆様お元気にお集まりいただきました。それぞれの掲載歌を鑑賞しながら、多くの学びを得られる短歌の集いは、制限を強いられて久しい身と心に活気を与えてくれるようです。では、百一歳を迎えられた安江とくよ同人のお歌、『こころ豊かに』より皆様の心を深く捉えた三首をご紹介いたします。

・はっきりと今見し夢が眼に残る白く大きくあの花ゆるる

・刻々とペン持つ指の力ぬけ書きたきことが心にのこる

・百一歳手鏡にみるまだ『女』白髪の眉毛と唇のいろ

短歌にはその人の生きざまが露わに反映されます。全国の社友の皆さまのお歌を拝見することで、多くの生きるヒントを頂く思いです。

[7月号誌上より]

・暮れ初めし畑に手馴れの鍬かまの影と爺ばば夕月あふぐ(金丸満智子)

・涼やかに風邪と散りくるさくら花今年のことはことしかぎりと(井口慎子)

・新緑の夕べ電車にゆづられて席に坐れる母娘あり(山本浩子)

・存ふに然したるものも見つけ得ず仰げる空は果てしなくして(中川りゅう)

・葉桜の夕日に照らふ山ぞひを低く桃花の咲き初むるなり(中川寿子)

・幼子の両の手広げ見上ぐれば髪にひららと桜舞ひ散る(後藤まゆみ)

・地を低く響かせ及ぶ蛙音をゆりかごにして寝ぬる小夜なり(中世古悦子

文月歌会[令和三年]

暑い暑い日が続きます。そして収まりかけているかに見えたコロナ感染は、ワクチン接種が進んでいるにも関わらず、危機管理の緩みをついてか、かつての感染者数を更新する日々です。そんな中、幾多の障害を振り払い東京オリンピックが幕を開けました。連日繰り広げられるアスリート達の真剣勝負に引き込まれ、結果に関わらず彼らは多くの感動を与えてくれています。またこの非常時において、オリンピックの進行に尽力されている大会関係者の
方々のご苦労は計り知れません。すべての競技を無事に終え、滞りなく閉会式が迎えられますよう祈るばかりです。

7月の支部会は、外出も憚られる暑さの中、皆様お元気にお集まりいただきました。それぞれの掲載歌を鑑賞しながら、多くの学びを得られる短歌の集いは、制限を強いられて久しい身と心に活気を与えてくれるようです。では、百一歳を迎えられた安江とくよ同人のお歌、『こころ豊かに』より皆様の心を深く捉えた三首をご紹介いたします。

・はっきりと今見し夢が眼に残る白く大きくあの花ゆるる

・刻々とペン持つ指の力ぬけ書きたきことが心にのこる

・百一歳手鏡にみるまだ『女』白髪の眉毛と唇のいろ

短歌にはその人の生きざまが露わに反映されます。全国の社友の皆さまのお歌を拝見することで、多くの生きるヒントを頂く思いです。

[7月号誌上より]

・暮れ初めし畑に手馴れの鍬かまの影と爺ばば夕月あふぐ(金丸満智子)

・涼やかに風邪と散りくるさくら花今年のことはことしかぎりと(井口慎子)

・新緑の夕べ電車にゆづられて席に坐れる母娘あり(山本浩子)

・存ふに然したるものも見つけ得ず仰げる空は果てしなくして(中川りゅう)

・葉桜の夕日に照らふ山ぞひを低く桃花の咲き初むるなり(中川寿子)

・幼子の両の手広げ見上ぐれば髪にひららと桜舞ひ散る(後藤まゆみ)

・地を低く響かせ及ぶ蛙音をゆりかごにして寝ぬる小夜なり(中世古悦子

水無月歌会[令和三年]

今年は梅雨入り宣言が例年よりもかなり早く、それならば早く明けるのかと思いきや、宣言後は五月晴れを取り戻したかのように、爽やかに晴れる日が多く、ようやく梅雨らしくなったのはここ2、3日のように思われます。汗がべたーっと体に張り付き、とりわけ洗濯物が乾かないこの時期は身も心も晴れません。

ところがひと度野山に目をむければ、草木は空気までも緑に染めてしまうほど、それぞれの緑を精一杯に育んでいて、やはり一年の中でこの季節が無くてはならないものであることを実感します。

去年の夏、知人が大きな水甕に大切に育てている睡蓮一株と、そこに共生させている数匹のめだかを貰いうけ、我が家にある一番大きな甕に移しました。どうやらうまく適応したらしく、睡蓮の株は毎日のように新しい花を咲かせています。そしてめだかも冬には表面が凍る水甕の中で命をつなぎ、去年よりもひと回り大きくなって、子も孵りました。目は砂の粒のように小さく、細い針のような子めだかが、睡蓮の浮き葉の隙間に時より姿を現すのを見つけては、その小さな命にエールを送っています。

梅雨の雨によって毎日充分に満たされる水甕に、花もめだかもご満悦のようです!

さて、三重支部ではコロナワクチンを既に接種された方も多く、歌会への参加の不安も少しは軽減されたように思われます。

今月は、新青虹誌の巻頭歌となった金丸さんのお歌『春の海辺』十首を、ご本人に解説をしていただきながら鑑賞しました。漁業を生業にする人達の生活や想いを、選び抜かれた言葉でテンポ良く詠まれたお歌に、みな感心しきりでした!

[6月号誌上より]

・砂浜に乾く流木老い深むいこいにかなふ温みありけり(金丸満智子)

・ひと本の庭の古木を好むとふ幼なのあればながく残さむ(井口慎子)

・もろもろを清めゆく火に包まれて冬より春へ向かふ奈良なり(山本浩子)

・初午に小さき稲荷を掃き清め面輪やさしき人したくせり(中川りゅう)

・未明なる地鳴りに目覚め独り居を心にとどめ深呼吸せり(中川寿子)

・神殿に子の厄払ふと額づきし我が拍手の響く春なり(後藤まゆみ)

・海よりの風に耐えつつ歪み立つ松なづるやに春の雨せり(中世古悦子)

皐月歌会[令和三年]

コロナ感染がなかなか終息に向かわないこともあって、今月の歌会は欠席者多数のため中止となりました。

それでも季節は同じように巡ってきます。

我が家は川沿いにあって、この時期になると、川の中州に甲羅を干していた亀が川の堤防を乗り越え、庭の中へ卵を産みにやってきます。一体亀たちが何を基準に選んでいるのかその場所は毎年違って、道の真ん中だったり、柵の際だったり、とんでもない場所を選ぶこともあります。ですが礼儀?はわきまえているのか、大切なお花畑の中へ踏み入ることはなく、主とトラブルになることもありません!

時間はほぼ決まっていて、寝ぼけ眼で、朝食のお味噌汁に入れる薬味を採るために庭へ出た時で、後ろ足で必死に穴を掘っていたり、目尻から涙を流しながら卵を産み落としているさなかだったり、産んだ卵へ土をかけ綺麗に均している時だったり、それぞれです。今日も私の足音に気がつくと、危険を察知して、鋭い目でこちらを睨みつけてきました。亀の気持ちもわかりますが、私の方も、30センチ程もあるグロテスクな甲羅をもつ亀にふいに遭遇するわけですからびっくりです! 思わず、何もしないから!!と小声にしばらくは息を殺して見守りました。何やらドキドキしながらも、ゆっくりとした動作でこつこつと事を成してゆく亀の様子にこの生の営みが長寿である所以なのだろうと、毎日をあくせく余裕のない自分を省みた朝でした。

 

[5月号誌上より]

・春陽かげ白抜き暖簾の店先に雛菓子ならぶ城下町なり(金丸満智子)

・朝々を紅筆探すこともなく桃色あはきマスクして行く(井口慎子)

・お雛様段に飾りて甘酒をいただきし春かつてありけり(山本浩子)

・観音に額づきゐれば若き日に悩みしことはあはあはとして(中川りゅう)

・庭落葉よせゐる下の草の芽に春をしづかに待つ思ひあり(中川寿子)

・子どもらと声そろえ豆まきし日よ今宵ひとりの福は内なり(後藤まゆみ)

・如月の澄める鈴鹿嶺撮らむとす人侵されぬ点景と見ゆ(中世古悦子)