卯月歌会[令和三年]

コロナ感染の動向に世界中が振り回されて明けた2021年も、瞬く間に4ヶ月が過ぎて
ゆきました。当初は外出できないことに少なからずストレスを感じていましたが、慣れと
は都合の良いもので、家居とマスクは当然の事として、違和感さえ抱かないこの頃です。
若い頃ならそうはいかなかったかもしれませんけれど・・・!しかし人の順応力というの
は恐るべきものがあります!もはやマスクもおしゃれの対象としてしまうのですから。

我が家の周りの田は、もうすっかり田植えを済ませました。上の方から順に水が入り、何
枚もの水田へ宵の月影が白い光を落とし始めると、競う様に蛙たちが名乗りを上げる。そ
してみずみずしい若苗が次々と植えられ、初夏の風になよなよとなびいている姿はとりわ
け愛おしく感じられます。趣のあるお歌がいく首でも詠めそうな、そんな季の話題をかわ
きりに、4月の支部歌会は、透かした窓よりの爽やかな風に吹かれながらの楽しいひと時
となりました。

『4月号誌上より』

・屋根雪のある車ゆき臘梅のしづり真すぐに光り落ちつつ(金丸満智子)

・寒少しゆるむ幾日や板の戸を直す音さへ陽に和むらし(井口慎子)

・立春を目の前にして梅ひらく温もりおぼえ歌をつづれる(山本浩子)

・青虹の社友となりて日々を詠む生くる証にときめきにつつ(中川りゅう)

・夜の明けは猫の額のほどなれどややに早まる心地にうれし(中川寿子)

・薄氷の川面たちまち鴨どりの遊ぶに裂けて緩みゆくなり(後藤まゆみ)

・結露する窓にへのへのもへじ描くもいづれ流れて憂い顔なり(中世古悦子)

弥生歌会【令和三年】

家の近くを流れる「たこち川」沿いを百本ほどの桜の花が満開となりました。長男が小学校入学の頃、まだ裸ん坊のか細い苗が間隔をとって点々と植えられた時は、今のような見事な桜並木になることなど想像もできませんでしたが、30年余り、花を咲かせ、散り、枝を伸ばしながら確実に年を重ねて、溜め息の出るばかりの景観を作り上げました。コロナ感染に翻弄され、ずるずると2度目の夏を迎えようとしている私達人類も、自然の営みのようにもっとシンプルになればよいのではないでしょうか。

3月の支部会は久し振りに全員が顔をそろえました。短歌に親しむという目的をもって共有する数時間はそれぞれの楽しい時となっている様です。

米寿を迎えられた中川さんは、これまでにやったことのない事に挑戦したいと3年前に入会された、とても気骨のあるおばあちゃまです。まだまだ五七五七七の語調に整えることも難しいご様子ですが、毎回新鮮なお歌を10首携えて参加されます。この日は、お掃除を頑張りすぎて体中あちこち痛むと元気なく、とても辛そうに入ってこられました。徐々に顔に明るさが戻ってきたので、大丈夫ですか?とお尋ねすると「短歌は私の妙薬です!!」と。一同感嘆の声をあげた瞬間でした。

「3月号誌上より」

・冬晴れの縁のぬくみにまどろみて今は世に亡き人と睦みき(金丸満智子)

・夜の雪うつすら積もり音もなき大晦の朝冷えつきぬ(山本浩子)

・慎ましく生くるを良しと語りあひ香る林檎を食めば安けし(中川りゅう)

・龍宮と地球行き来すはやぶさに託す令和の大き夢あり(中川寿子)

・秋風に稲穂重たくさやぎつつパッチワークと見ゆる里なり(後藤まゆみ)

・中空の雲のすき間ゆさしきたる陽に包まれて十字架光る(中世古悦子)

如月歌会【令和三年】

2月は温さ寒さの入れ替わりが激しく、気ままな春に弄ばれてあっという間に過ぎ去った
感があります。そして例年通り、花粉に目や鼻を攻め立てられる季節がやってきました。
ただ救いはコロナ感染が少しづつ終息に向かいつつ有ることでしょうか!

3ヶ月ぶりに支部歌会を開催することができました!
誌上のお歌を自分なりに忖度し鑑賞するだけでは、やはり推し量り難い事が多くあります。
作者本人から説明される歌の真意は、心から同意できたり、納得したり、疑問を持ったり
微妙な差異があって、顔を突き合わせ意見交換する中から、より情趣のあることばや描写
を導き出していく過程が、この上なく楽しい時間となります。

月に一度の歌会が、今年は滞りなく開催できることを祈ってやみません!

<2月号誌上より>

・天かける白鳥に似し雲ひとつ大和へ消ゆる秋日和なり(金丸満智子)

・里山を拓きて成りし新道に四季吹きわたる緑風あり(井口慎子)

・もみぢせる桜のそばの慰霊碑に白菊手向け無口に礼す(山本浩子)

・白杖を馬手に持ちたる背の君の弓手は妻に預け歩めり(中川りゅう)

・三人目の曽孫に会ひて人の世に生くるよろこび想ふ秋なり(中川寿子)

・薄紅のコスモスゆるる散歩みち遠山に日は傾かむとす(後藤まゆみ)

・ゆくりなく夜さを忍びて来る冷えに椿は八重の花弁解きたり(中世古悦子)

睦月歌会[令和三年]

十数年も前のことです。お友達の紹介で隣町のお茶の先生のお宅のお初釜にお招きいただきました。晴れの茶会とあって出されたお道具はみな立派で、美術館のガラスケースにに並べられるような逸品もあり、異次元のお茶会を存分に楽しませていただきました。後ろ髪を引かれる思いで退出しようとした時、庭の隅に何とも儚げに咲くうす紫の花が目に留まりました。窺えば寒あやめという花でした。なるほど花の形はあやめにそっくりです。早速無理を言って株を分けていただき、今では我が庭のあちらこちらに増えています。毎年雪の散らつく中、細く弱々しくこの花の咲き始めるのを見ると、どうしてこの季節を選んだの?!と思わず問いかけてしまいます。この冬も寒にふさわしく、肉厚の濃い紅色に咲く藪椿のそばで、なよなよと毎日数輪の花を咲かせています。自然は本当に不思議に満ちています!いつ終わるのか先の見えない混沌とした現実ですが、真実を見極め楽しく明日を迎えましょう!!

1月の支部会は、コロナ感染の拡大を考慮して休会と致しました。

<1月号誌上より>

・生きのこる蜘蛛月の夜をたるむ巣に金木犀の香とひそみつつ(金丸満智子)

・生家より心離れし若き日か今は聞きたきこと多くあり(井口慎子)

・たつぷりと秋の日及ぶガラス戸の影なす椅子に母の坐れる(山本浩子)

・十五夜の月影閨に射し入りて目覚めしままに去りし人思ふ(中川りゅう)

・コロナ禍の今宵は月に祈りつつ団子すすきを飾らむとする(中川寿子)

・我祝ふディナー鮑の前菜と友の変わらぬ笑みにはじまる(児島靖子)

・草茂るあき地のすみに彼岸花空の高さを楽しむと見ゆ(後藤まゆみ)

・花すがた鮮やかなりし檜扇の実は漆黒に秋をさびしむ(中世古悦子)

師走歌会【令和二年】

明けましておめでとうございます!
昨年末の厳しい寒波に心配された初日の出は、思いの外厳かに晴れやかに上り、終息の
見えない疫禍を除けばまずまずの年明けとなりました!
去年にも増してより自分を見つめ直す機会が与えられたことを幸運として、どうすれば
一人の人間としてお役に立てるのか、何をすれば自分を楽しませられるのか、ぶれるこ
となく一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。

昨年の師走歌会は残念ながら中止となりましたが、1月は細心の注意を払い開催する予
定です。悶々と遣り場のない思いを抱えていらっしゃる方、短歌は難しいものではなく
心を開き、そして自由に遊ばせることのできる素晴らしい文芸です!興味のある方は
是非ご一報下さい!!

<12月号誌上より>

・コロナ禍に訪へばマスクに会釈せる美容師活けし萩の方より(金丸満智子)

・祇王寺の炭火に寄りて咳き込みし人の背にふと縁思ひぬ(井口慎子)

・シャリシャリとりんごを喰めば深秋の丘渡りゆく風の涼しく(山本浩子)

・雲の端に形作るや鰯雲なだりに白き風の吹き初む(中川りゅう)

・あたたかく背流しくるる人のゐて涙の頰をひそかにぬぐふ(中川寿子)

・一輪車操るすがた得意げにみせる幼の汗たのもしく(児島靖子)

・母の読むはなし覚えてせがむ子のグリム童話に眠りおちたり(後藤まゆみ)

・しなやかに疾風もかはす萩の枝の花あまりにももろくこばれむ(中世古悦子)

霜月歌会【令和二年】

不要不急の禁足を強いられ、何もしないまま気がつけばもう師走です!
コロナ感染の第三波が勢いづき、せめて人出の少ないうちにと思っていた久しぶりの古
寺巡りも、断念せざるをえないようです。

まだ学生の頃、長期の休みには何かに駆り立てられるように、京都、奈良のお寺を巡るひ
とり旅をしました。法隆寺の門をくぐれば、歴史を重ねた木造の伽藍の放つ圧倒的なパワ
ーに抱かれ、心身ともに充電されていくのを実感しました。中宮寺の弥勒菩薩像はまだ古
いお堂にいらして何の隔てもなく、間近に正座しては伏し目の奥の慈しみ深い眼差しに、
しばし身を委ねました。又、興福寺の阿修羅像は何故かとても気になる存在でした。当時
大学の友人に、君は興福寺の阿修羅像に似ていると言われたことがあるのです。きっとい
つも眉間にしわを寄せて物憂げな表情をしていたからでしょう。この阿修羅像がどうして、
少年の顔をしてあの表情を持つのか何も知らないまま、自分を鏡に見るような錯覚に陥っ
ていたようです。ともあれ阿修羅像が今のように表舞台に立ち、愛され、研究されるずっ
と以前のことです。

新青虹11月号に紹介されている、会津八一の「阿修羅の像に」と題された二首のお歌に懐
かしく当時を思い出しました。

・ゆくりなきもののおもひにかかげたるうでさへそらにわすれたつらし

・けふもまたいくたりたちてなげきけむあじゅらがまゆのあさきひかげに

コロナ禍ではありますが、歌会はいつもの様に発言が飛び交い、楽しい時間となりました。
人との交わりを極力避ける日々ですので、この時間がより大切なものに思われます。

<11月号誌上より>

・村の娘の白靴かろくかけゆきし後の木橋の夏ひそかなり(金丸満智子)

・あたらしき悩みいつしか忘れつつ遠き日の悔思ふ秋なり(井口慎子)

・空調の音のきこゆる炎天に歌つむぎ出すしじま味はふ(山本浩子)

・七十路に余る年経し絵具箱しぼるチュウブに指の跡あり(中川りゅう)

・帰りゆく息子のしぐさ亡き夫に似ると偲ばむ夏のゆふべに(中川寿子)

・言の葉の紡げずにゐる歯がゆさを酷暑のゆゑと吾なぐさむる(児島靖子)

・足音にからだくねらせ隠れ入る蛇に幼なの後退りせり(後藤まゆみ)

・真夏なる陽射しの落つる濃き陰の奥へと青きやせ蛙入る(中世古悦子)

霜月歌会【令和二年】

不要不急の禁足を強いられ、何もしないまま気がつけばもう師走です!
コロナ感染の第三波が勢いづき、せめて人出の少ないうちにと思っていた久しぶりの古
寺巡りも、断念せざるをえないようです。

まだ学生の頃、長期の休みには何かに駆り立てられるように、京都、奈良のお寺を巡るひ
とり旅をしました。法隆寺の門をくぐれば、歴史を重ねた木造の伽藍の放つ圧倒的なパワ
ーに抱かれ、心身ともに充電されていくのを実感しました。中宮寺の弥勒菩薩像はまだ古
いお堂にいらして何の隔てもなく、間近に正座しては伏し目の奥の慈しみ深い眼差しに、
しばし身を委ねました。又、興福寺の阿修羅像は何故かとても気になる存在でした。当時
大学の友人に、君は興福寺の阿修羅像に似ていると言われたことがあるのです。きっとい
つも眉間にしわを寄せて物憂げな表情をしていたからでしょう。この阿修羅像がどうして、
少年の顔をしてあの表情を持つのか何も知らないまま、自分を鏡に見るような錯覚に陥っ
ていたようです。ともあれ阿修羅像が今のように表舞台に立ち、愛され、研究されるずっ
と以前のことです。

新青虹11月号に紹介されている、会津八一の「阿修羅の像に」と題された二首のお歌に懐
かしく当時を思い出しました。

・ゆくりなきもののおもひにかかげたるうでさへそらにわすれたつらし

・けふもまたいくたりたちてなげきけむあじゅらがまゆのあさきひかげに

コロナ禍ではありますが、歌会はいつもの様に発言が飛び交い、楽しい時間となりました。
人との交わりを極力避ける日々ですので、この時間がより大切なものに思われます。

<11月号誌上より>

・村の娘の白靴かろくかけゆきし後の木橋の夏ひそかなり(金丸満智子)

・あたらしき悩みいつしか忘れつつ遠き日の悔思ふ秋なり(井口慎子)

・空調の音のきこゆる炎天に歌つむぎ出すしじま味はふ(山本浩子)

・七十路に余る年経し絵具箱しぼるチュウブに指の跡あり(中川りゅう)

・帰りゆく息子のしぐさ亡き夫に似ると偲ばむ夏のゆふべに(中川寿子)

・言の葉の紡げずにゐる歯がゆさを酷暑のゆゑと吾なぐさむる(児島靖子)

・足音にからだくねらせ隠れ入る蛇に幼なの後退りせり(後藤まゆみ)

・真夏なる陽射しの落つる濃き陰の奥へと青きやせ蛙入る(中世古悦子)

神無月歌会【令和二年】

今年も余すところ2ヶ月となりました。
コロナ感染が世界を震撼させたのは3月。以後振り回されて8ヶ月が過ぎ、終息の見えぬまま不自由を強いられています。悲観的になればどんどん辛くなりますが、新しいことに取り組める絶好のチャンスでもあります。
我家では実益を兼ね野菜作りに取り組んでいます。夏は胡瓜、茄子、ピーマン、オクラ、トマト等、朝採り野菜が食卓に並び夏バテ知らずでした。今やすっかりはまっています。そうそう、今日は美味しそうなさつま芋を50本掘り上げ大満足です!冬野菜も青々と実り始めています。多分こんな時こそできる事がきっとある筈です!

今月の支部会は、秋晴れのよい日和となり、コロナ禍でなければ秋空吟行も実現できたことでしょう。持参下さる詠草も少しずつ増え、新しい気付きに盛り上がる事しきりです。

<9月号誌上より>

・梅雨くもり羽ふり降りし鴉らの地蔵お前にこゑをつつしむ(金丸満智子)

・瓜切りし残り香さやけき流しもと梅雨明け近き窓あかりあり(井口慎子)

・ひたむきに生きし証を絵に留め画学生らは戦地にて果つ(山本浩子)

・穂の出づる青田に風の渡りつつ稔りを兆す祓ひとならむ(中川りゅう)

・雨あとの夏の日差に青榊もとめし店をかろやかに出づ(中川寿子)

・土手を行く我の額に飛びまどふゆすりか払う目に青田見ゆ(児島靖子)

・夕陽うけ田返す人の傍らにふはり降りきて鷺らはゐたり(後藤まゆみ)

・あでやかなるままに散りにし野牡丹の紫土に納まりがたし(中世古悦子)

長月歌会

熱暑の夏とは打って変わって9月に入ると,立て続けに大きな台風が接近し朝鮮半島を
直撃しました。幸い日本列島には大した影響はなく、清々しい秋を置き土産に去ってくれ
ました。
お陰で我が家のお花畑には、夏から開き始めた秋桜、桔梗、女郎花に加え、萩、秋海棠
藤袴,秋明菊、吾亦紅などなど、それぞれに奥ゆかしい花をやさしく開き、秋の月が満ち
るにつけて、土手の尾花も黄金の穂を広げ始めました。そして雨あとの畑に蒔いた数種の
野菜の種も、小さいながらそれらしい形を見せています。
まだまだ終息の望めないコロナ禍ですが、澄み切った秋の空に目を向ければ、沈みがち
な心も解き放たれるようです。この日は三重支部の方々も、秋に思いを寄せたお歌を携え
お集まりいただきました。

<9月号誌上より>

・耳奥のかゆみに目覚め東雲の遠あかるみに二度寝たのしむ(金丸満智子)

・群れ咲ける浜ひるがほの一花を摘めば若き日また蘇る(井口慎子)

・コロナ禍の自粛に慣れて半年のテレビ暮らしに楽しみあらす(山本浩子)

・日蝕の気配近づきうすき陽の空に白しら蝶舞ひにけり(中川りゅう)

・のら猫の命ありしやゆるり来てひと声のみに又去りゆきぬ(中川寿子)

・暑ささへ思ふことなく夫逝きし遠き夏の日また巡り来ぬ(児島靖子)

・裏庭の白きあぢさゐ露ながら母の写真へ一輪供ふ(後藤まゆみ)

・水無月の朝の光に水草をそと動かして睡蓮ひらく(中世古悦子)

葉月歌会(中止

7月中を降り続いた雨は、8月に入るとピタリと止み、以降その雨は一体どこへ消えたのか暑く乾いた日々が続きました。そしていよいよ台風のシーズン到来です。9号の襲来は何とか難なきを得そうですが、間も無く台風へと発展する10号が何とも不気味です。
また新型コロナの第二波は、鈴鹿でも例に漏れず、連日感染者が報告されています。自粛生活もはや半年を過ぎ、当たり前と思っていた家族や友人たちとの間近での交流が、今では懐かしくも感じられます。

しかしピンチはチャンス!この自粛で得られた家での静かな時間を無駄にせず、古の歌人や青虹の先輩方のお歌を読み返してみてはいかがでしょうか。

 

<8月号誌上より>

・岩の上の亀も水面にうく亀も春の別れをいつと知るなく(金丸満智子)

・ぜいたくは望まぬ暮らしささやかに祝ひ膳して春の月観る(井口慎子)

・つばくろの子育て眺むたのしみに青空あふぎ遠まはりせり(山本浩子)

・ゆうかぜになびく茅花のかがやきて童話の狐ひそむやに揺る(中川りゅう)

・ウイルスの騒ぎをよそに渡り来しつばめ青田に宙返りせり(中川寿子)

・草とても可愛いのよと又笑まふ老女の暮し麗しくあり(児島靖子)

・親鴨に離れまじとて子鴨らの足掻く水皺に夕陽きらめく(後藤まゆみ)

・陽と陰に彩られたる石段をモノクロームに人下り来る(中世古悦子)